9.62015
教師の目ヂカラ
こんにちは。奈良県の広陵町にある陽塾の代表・原田基生です。
わたしが中学生のとき、学校で時々自習の時間がありました。
自習を始めるときには先生がいて、わたしたち生徒はそれぞれの自習を始めます。
すべての生徒が自習に没頭し始めて教室が少し落ち着いた雰囲気になってから、先生が教室からそっと退出することがあります。
しばらくすると、小さな声でひそひそと話し始める子が出始めます。わたしもそのひとりでした(笑)
教室全体がダレた雰囲気に支配されます。
そのとき、担任のH先生がドアの窓から教室の中を覗いているのが分かりました。
ドアを開けて入ってくるでもなく、笑い顔でも怒り顔でもない「普通の顔」でわたしたちをじっと見ているのです。
でもその目が語っています。
「お前らちゃんと自習しろよ」
それに気づいた子から、しゃべるのをやめて自習を再開し始めます。
その様子を見て、それ以外の子も先生の視線に気づき、教室全体が元の状態に戻ります。
H先生は窓から覗くだけで、何も言葉を発することなく教室を締まった状態にしたのです。
教師の目ヂカラとでもいうのでしょうか。
単に鋭い目をしているとか大きな目をしているとか、そういう物理的なものでなく、目ヂカラのある教師は厳しく指導力のある教師です。教師としての力量が目ヂカラとなるのです。
目ヂカラのない教師、つまり指導力のない教師は、言葉や動作も加えないと子どもたちをうまく動かすことはできません。
目ヂカラのある教師は、子どもに目だけで語ることができます。
「よくがんばったね」「すごいぞ!」「大丈夫か?」「ちゃんとやれ!」「ウソをついてるんじゃないか?」・・・
特に「ウソをついてるんじゃないか?」はなかなか言葉では直接言えることではありません。
でもそういう目で子どもを見つめると、子どもは何か見透かされたような気になるものです。
わたしも教師としての目ヂカラをしっかりと磨いていきたいと思います。