7.272015
経験があるがゆえの先入観
こんにちは。奈良県の広陵町にある陽塾の代表・原田基生です。
昨日、高校野球の奈良の地方大会の準決勝が行われました。第1試合は大和広陵高校と奈良高校の試合でした。
わたしはそれをたまたまテレビで7回くらいから見ていました。
大和広陵がずっとリードしていたようです。さらに7回表に3点、9回表にも3点を追加して11対3となりました。
9回表を終了して8点差です。
そのときわたしは、「ベスト4まで進んだ。奈良高校の子たち、よくがんばったな」と思いました。
しかし9回裏、奈良高校の攻撃。打者一人ひとりが粘りに粘ります。四球やヒットがつながり、何と5点をたたき出して11対8。3点差まで追い上げたのです。
最後の打者はセカンドライナーでダブルプレーになってしまいましたが、あの打球がもし抜けていれば、さらに差は縮まり、あわやサヨナラもあったかもしれません。
9回裏で8点差。わたしのこれまでの経験上、これを逆転することは「確率」的にはほとんどありません。
そしてわたしの予想通り、大逆転は起こりませんでした。
しかしわたしは9回裏の奈良の攻撃を見ていて何となく自分が恥ずかしくなりました。
奈良高校の選手は一所懸命プレーしています。スタンドではみんな必死で応援しています。
「もしかしたら」の奇跡を信じてです。
わたしは9回表が終了したときに大和広陵の勝利を疑いもしなかったのです。「奈良高校、負けたけどよくがんばった」と思ったのです。
まだ負けていないのに、です。
長年の経験からくる「確率」論、それは「先入観」です。ベテランであるほどその傾向があると思います。
教育の世界でも同じことがいえます。
これまでの経験を生かして、子どもを冷静に分析することは大切なことです。しかしそれに引きずられすぎて、知らず知らずの間に子どもを「既成の枠」に当てはめてしまうことは、子どもの「奇跡」を封じてしまう危険性があるということなのです。
わたしもそれなりのベテランです。気をつけなければなりません。