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ら抜き言葉

こんにちは。奈良県の広陵町にある陽塾の代表・原田基生です。

「見れる」「食べれる」「来れる」などの表現は「ら抜き言葉」といわれています。
これは、可能の意味を表す助動詞「れる」「られる」が文法的に誤って動詞に接続されている状態です。
文法的には、
「れる」は五段活用・サ行変格活用の動詞の未然形につく
「られる」はそれ以外(上一段活用・下一段活用・カ行変格活用)の動詞の未然形につく
というルールがあるようです。

よって、冒頭の表現はそれぞれ「見られる」「食べられる」「来られる」というのが正しい形です。
(「見る」は上一段,「食べる」は下一段,「来る」はカ変)

話し言葉としては昭和のはじめからあったようで、最近は世間でよく使われています。
わたしは、上一段と下一段のら抜き言葉は違和感を感じるのですが、恥ずかしながら子どものころからのクセで「来る」の可能の形をついつい「来れる」と言ってしまうことがあります。

「ら抜き言葉」は、厳密にいうと誤った用法なのですが、ワープロで「ら抜き」を変換してもちゃんと変換されます。これだけ世間に広まってくると今後は「それも可」となるかも知れません。

文化庁のホームページでも、
『「ら抜き言葉」 (例:「見れる」)を専ら可能の意味に用い、受身・自発・尊敬(「見られる」)と区別することは合理的であり、五段活用の動詞(例:「読む」) における可能動詞(「読める」)と同様に可能動詞形と認めようとする考え方や、「ら抜き言葉」の増加は可能表現の体系的な変化であり、話し言葉では認めてもよいのではないかという考え方もある。』
とあり、『今後の動向を見守っていく必要があろう。』とされています。

そうとはいえ、現時点では誤りとされているのですから、少なくとも「正解」は知っておく必要があります。

簡易に見分ける方法として「動詞を勧誘の形にする」というのを見つけました。
このときに「~よう」がつくと、「ら」が必要(よう)と覚えておくと良いかも知れません。

(例)
「出る」→「出よう」→「よう」がつくので「ら」は必要→「出られる」
「切る」→「切ろう」→「よう」がつかないので「ら」は不要→「切れる」
「着る」→「着よう」→「よう」がつくので「ら」は必要→「着られる」

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